11年01月22日
銀座は好きな街だ、というより、だったというべきか。
大学1年の頃だったと思う。早慶戦に勝利して慶應が六大学で優勝したことがあった。銀座のビアホールに凱旋し、ジョッキー片手に肩を組んで夜半まで騒ぎまくった。最後は、日比谷公園の噴水だ。そんなこともあり、学生の分際ではあったが、矢上から三田に出かけた帰りによく銀座で寿司をつまんだものだ。
先日、博品館裏にある和食のお店で、旧友たちと「獺祭(だっさい)」を飲んだ。正岡子規ゆかりの獺祭である。ママさんイチ押しの山口の日本酒だ。この店は食ログにも紹介されているが、伝票を見ると福澤先生が数枚になる。シックな黒瓦の壁や落ち着いた照明の雰囲気は(行ったことはないが)銀座高級クラブを連想する。その日の隣の席はどうみても同伴出勤のカップルだった。
どんな商店街にも表通りと裏通りがあるが、最近の銀座は裏が表ではないか。
その昔、銀座の表通りは東京という大きな都市の象徴だった。しかし、グッチやヴィトンが並ぶ表通りは、世界のどこにでもある普通の通りになってしまった。モノの高級ブランドが、銀座の魅力ある記号を消し去ってしまったのだ。
そんな思いで選んだのが、裏と表の2枚の写真だ。
折り重なる小さな看板はどこの街でもお目にかかるが、日本のどこに行っても銀座の裏にはかなわないのではないか。
昼だけではない。夜の表通りも placelessness(没場所性)になってしまった。ひとつひとつ、街の記号が消えていく。何かしなければ、と思う。
小川克彦