つまみ

balab通信

街の記号 その4:三津浜

11年01月31日

銀座の華やかさとは対照的な商店街を紹介しよう。愛媛県は「三津浜」である。

この三津浜と聞いて、ピーンと来る人はたくさんいるだろう。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場した秋山好古と真之、そして正岡子規の3人が、それぞれの夢を抱いて松山から旅立った港である。真之や子規が受験のために東京に向かったのが1883年だった。

三津浜は松山市内から少々遠い。NHK大河ドラマでは、港まで田舎道を歩く白い軍服姿の真之が印象的だった。1888年になると、三津から松山まで「坊ちゃん列車」が走るようになる。伊予鉄道の軽便時代だ。ドイツのクラウス社が製造したB型(2つの動輪の意味、ちなみにD51のようなD型は4つの動輪)の蒸気機関車が、2軸のマッチ箱客車を牽引した。レール幅は762mmのナローゲージ。JR在来線が1067mmなので、ちょうど1 フィートだけ短い2フィート6インチである。

坊ちゃん列車の由来は漱石の小説だが、漱石が松山中学に赴任してきたのが1895年である。同じ年に子規が、日清戦争の取材から病気療養のために松山に帰ってきた。傷心の想いで神戸から船で三津浜に到着し、この汽車に乗って松山市内の自宅に向かったのだろう。

現在の三津駅は伊予鉄道高浜線にある。これは高浜方面から来る電車の写真だ。

xx_DSC2339.JPG

少々鉄道談義が長くなってしまったが、商店街に話を戻すとしよう。

三津浜を歩くと、松山の玄関口として繁栄した頃の面影が町並みに残っている。港近くにある石崎汽船本社は1925年に建てられた大正のモダンな洋風建築だ。古きよき昭和の風格ある木造建築も多い。

しかし、時代の波は容赦ない。三津浜はシャッター商店街になってしまった。大型スーパーと車の発達で便利になればなるほど、地方の商店街はシャッター化してしまう。残念だけど、現在の三津浜の記号はこの写真になってしまう。

xx_DSC2314.JPGシャッターというのはまさに記号である。店が閉まるという表面だけではない。地域に暮らす人と人のつながりにもシャッターがおろされるという意味だ。その意味では地方だけではなく、都会に住む僕たちの心にもシャッターがおりているのではないだろうか・・・

シャッターは多くの人が感じている分かり易いネガティブな記号だけど、そんな中でポジティブな記号づくりに努力している商店街を紹介していこうと思う。

小川克彦