つまみ

balab通信

街の記号 その8:吉祥寺

11年05月13日

吉祥寺のSOMETIMEだったか、渡辺香津美のギターソロを聞きに行ったことがある。店内にあふれたファンの熱気で目と耳がかすんでしまい、目の前にいたにもかかわらず、蜃気楼のような彼の姿だけが記憶に残っている。

三鷹にある研究所に出張し、その帰りに行くのが吉祥寺だった。飲み屋ではなく、なぜかお好み焼き屋によく行った。中学高校時代、部活が終わるとよく通ったのが神谷町のお好み焼きだった。そのころから皆でつついて食べるお好み焼きが好きだった。いろいろな具を鉄板の上で混ぜ合わせる。そんなカジュアルな食の作法が吉祥寺という街にあっているのかもしれない。

xx_DSC1929.jpg       写真:2011年3月11日午後2時51分(地震直後)の吉祥寺

マグニチュード9.0の東日本大地震が発生した2011年3月11日、私は吉祥寺のダイヤ街を取材していた。最初はガタガタとアーケードが震え始め、まるで新幹線が近づいてくるようだった。

実は、2008年6月14日午前8時43分に発生した岩手・宮城内陸地震のとき、私はくりこま高原駅のお土産屋で時間をつぶしながら上り新幹線を待っていた。その日に人間工学会があって、お昼までに東京に戻りたかったのだ。その地震のときも、駅の屋根が震え始め、予定よりも新幹線が早めに到着するのかと思った。ところが、だんだんと横揺れが激しくなり、ペットボトルの入ったガラスの戸棚が倒れ、お土産屋の店員は外に飛び出していった。私も一瞬凍りついてしまい、気がついたときには駅前の駐車場で、代金未払いの「萩の月」を持って立っていた。だから、吉祥寺のときも、新幹線が来たと思ってしまったのだ。

ダイヤ街の通路が大きく揺れ始め、人びとは我先にと道路に飛び出していった。交差点や広場は人で埋まり、余震の続くなか、周りに建物のない場所を求めて肩を寄せ合い、通じないケータイを片手に気持ちが落ち着くのを待っていた。

しばらくすると、自宅に帰るのか(中央線も井の頭線もとまってしまったが)、ダイヤ街もサンロードも人であふれ始めた。ケータイをあきらめて、公衆電話に長蛇の列ができた。

xx_DSC1937.jpg       写真:2011年3月11日午後3時1分のサンロード

xx_DSC1986.jpg       写真:2011年3月11日午後3時14分の吉祥寺駅

さて、地震が発生するまでの吉祥寺の風景を話したいと思う。

吉祥寺の風景といえば、駅前から直角に広がるサンロードとダイヤ街の2つの大きなアーケード街が商店街の代表であろう。駅前を原点として、サンロードを X軸、ダイヤ街を Y軸とすると、軸沿いのお店だけではなく、いわゆる第1象限の平面にたくさんのお店が広がっている。この第1象限が吉祥寺のメイン地区ではあるが、第2象限や第4象限(第3象限は駅前)の場所も魅力的だ。特に、第2象限には昔ながらの居酒屋や魚屋のあるハーモニカ横丁があり、若い人たちの人気も高い。その昔は近鉄百貨店だったが、外装をメタリックに施したヨドバシカメラの大きなビルは第4象限に位置する。

xx_DSC1816.jpg       写真:サンロードの正面入り口 (午後1時45分)

xx_DSC1835.jpg       写真:穏やかな午後の吉祥寺 (午後1時50分)

人ごみのなかを吉祥寺に向けて足早に通りすぎる人もいれば、広場に立ち止まってひと時のおしゃべりを楽しむお母さんたちもいる。カフェでひとりくつろぐ大人の女性もいれば、マックでケータイ片手にワイワイしている女子高生もいる。夜になると、飲み放題の店に大学生のグループが集まり、会社帰りのサラリーマンが立ち飲みバーで白ワインを飲んでいた。

xx_DSC1846.jpg       写真:肉のサトウ、メンチカツをならんで買う (午後1時54分)

xx_DSC1842.jpg       写真:和菓子の小ざさ、羊羹をならんで買う (午後1時53分)

さまざまな人たちがそれぞれに楽しめる街が吉祥寺だ。そのにぎわいを象徴するのが、ダイヤ街にある肉のサトウと和菓子の小ざさだ。サトウでは、テニスボールくらいの大きさのメンチカツ、180円を求めてたくさんの人が並ぶ。隣の小ざさでは、列の長さは少々短いが、羊羹を求めて同じく並ぶ。

吉祥寺に住んでいた知人にメンチの評判を聞けば、メンチの味は長蛇の行列ができるほどでもないという。ところで、我が家の自慢料理にイタリアンミートボールがあるのだが、このミートボールもテニスボールくらいの大きさだ。中華の肉団子と違って、その大きさに客人はまず驚いてくれる。そして、我が家のミートボールは美味しいと言ってくれるのである。しかし、サトウ現象をみていると、美味しいと言われるのは、その大きさのせいもあるかもしれない。

吉祥寺商店街の店もさまざまだ。全国どこにでもあるマックやスタバーや松屋はもちろん、ちょっとおしゃれなファッションやイタリアンのお店も目をひく。もっとも目立つのは、昭和時代を感じるハーモニカ横丁だ。シャッターの閉まった店もあるが、昔ながらの定食屋やラーメン屋をはじめ、花屋や魚屋のほか、ワンちゃんのケーキ屋もある。狭くて急な階段をのぼると、真っ白な横丁ギャラリーがあり、そのときどきで絵本や陶器などの展示や音楽会を行っている。

ハーモニカ横丁の一角にあるのが、昔ながらのラーメン屋「珍来亭」である。戦後の屋代からはじまって50年以上もの歴史がある老舗の店だ。夜は居酒屋メニューになるのだが、私は大震災の日にちょっと遅めのランチを食べた。半ラーメン+餃子4ヶ+半チャーハンで780円だった。

xx_DSC1900.jpg写真:吉祥寺の記号、半ラーメン+餃子4ヶ+半チャーハン
(地震の前、2011年3月11日午後2時30分頃に昼ご飯を食べた)

珍来亭に限らず、ラーメン屋ではラーメンとチャーハンと餃子を組み合わせる店が多くなった。珍来亭では半ラーメンや半チャーハンといっても結構な量であったが、このような組みあわせを楽しめるというところが、まさに吉祥寺の良さではないかと思う。老若男女、女子高生や大学生、サラリーマンやお母さん。さまざまな人たちがまぜこぜの吉祥寺の活気をつくっている。

そこで、吉祥寺商店街の記号(象徴)を「半ラーメン+餃子+半チャーハン」にしたいと思う。

さて、その日、珍来亭を出たのが午後2時39分だった。ハーモニカ横丁から駅前の通りをへて、吉祥寺パルコの横からダイヤ街に続く横道に入った。そこにはちょっとおしゃれなファッションの店が並んでいる。この写真は地震直前に撮影したマネキンの衣替えだ。

ゆったりと時間の流れる吉祥寺の午後だった。あれから吉祥寺には行っていない。

xx_DSC1917.jpg       写真:2011年3月11日午後2時46分(地震直前)のゆったりした店の様子

実はこれを撮影しているときに、東北地方で地震が発生した。その時刻は午後2時46分18秒でだった。吉祥寺は約2分あとの午後2時48分から揺れはじめた。時分秒が記録される写真が初めて役に立った。

小川克彦